スタッフのお薦め

尾崎豊

担当 : 津田お薦めTOPへ戻る

尾崎豊は高校時代、本当によく聞きました。大好きでしたね。

尾崎については少しだけ自慢出来る事があるんです。彼は私が中学校3年の冬に「十七歳の地図」でデビューしたのですが、当時の音楽雑誌に「日本のブルース・スプリングスティーンがデビュー」みたいな事が書いてあって、スプリングスティーンが好きだった私はレコードを買いに行ったんです。ほとんど誰も知らない時期ですよ。どんな友人に聞いても尾崎のファンになったのは私の方が早いんです。それが小さな自慢です。それから毎日聞いていました。彼は私と3つしか変わらないんですよね。

高校1年の時に男友達の町田と本多に無理矢理聞かせたら、「何でコイツこんなに怒って歌ってんの?」と言われて苦笑した記憶があります。

一番好きなアルバムはやっぱり『十七歳の地図』。
全部良いけど特に「十七歳の地図 」「僕が僕であるために」「十五の夜」「OH MY LITTLE GIRL」「I LOVE YOU」「街の風景」かな。つまりほとんど全部です。「十七歳の地図 」は出だしのピアノ部分とかが、スプリングスティーンの「明日なき暴走」と似ているんですけど、10代の若者の社会への怒りや切なさを歌っていてみずみずしいから良いです。

高1の冬には2枚目のアルバム「回帰線」が出て、「卒業」で一躍スーパースターになりました。これまた良い歌だったし、何より売れて嬉しかったなぁ。その後、斉藤由貴や菊池桃子等、いろんな卒業ソングが出てきたけど間違いなくこれが一番でしょうね。

3枚目のアルバム「壊れた扉から」で好きだったのは、「Forget-me-not」「誰かのクラクション」「失くした1/2 」。特に「Forget-me-not」は最後の「君が教えてくれた花の名前は 街に埋もれそうな 小さな忘れな草」は、いま聞いていても心がジーンと震えます。

そして私が19才の時、覚醒剤で逮捕されたんです。その後、4枚目の「街路樹」が出たんですけど、そこに入っている「核(CORE)」を聞いて、当時のアルバイト先の友人とみんなで「この曲は危ない。恐い。どうしたんだ尾崎は」と言っていました。友人もみんな尾崎が好きだったんですよ。きっと仕事のことでいろいろあったんだろうなと思ってます。

社会人になってからは忙しくなったので少し遠のいていました。そしたらニュースで泥酔して千住の住宅街で亡くなったと聞いてびっくり。翌朝、会社の同僚と「尾崎が死んだぞ!佐藤君!」と大騒ぎして、営業中に護国寺(葬儀の場所)までちょろっと見に行ったんですけど、とてもとてもすごい人で近寄れませんでした。

当時は私もよく酔っぱらってフラフラしていたので、上司から「津田も肺水腫には気をつけろよ」 なんて言われました。

もう亡くなって、新しい曲は聴けないけど、変にオヤジになってあれこれやるより、残像として心の残っていた方がカッコイイかな。家族からするとふざけるなだろうけど。幻冬舎の見城社長が書いた本に角川時代の尾崎豊との付き合いの話が出ていて、彼は1曲1曲作るごとに命を削っていたのがはたから見てわかったそうです。一切の妥協はせず、まわりとぶつかり続けて、誰もいなくなっても、自分の納得のいく曲を作り続けたんだって。本当の芸術家だね。

そういえばこの前ニュースで尾崎豊の息子の写真が出ていましたね。もう20才ですって。背が高くて随分格好良かった。早いものです。

今、これを書くのにユーチューブで初めて尾崎の歌を聞きました。青臭いけどやっぱり格好いいし、熱いよ。命懸けているのがわかる。

しかしいつでも彼の生の姿が見られるって、今の時代の技術は良いね。


Forget-me-not(忘れな草)


僕が僕であるために


十七歳の地図


卒業


核(CORE)

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